2007年08月
2007年08月11日10:11総持寺その2 放光堂で不思議な光を感じる
総持寺の放光堂は、
明治44年(1911)11月5日、
總持寺が能登から移転されて、
最初に法要が厳修された建物で、
当時は、大祖堂として中心的な役割を果たしていたそうです。
お参りしていたら、本堂の御本尊の奥に
何か白く光っている尊い存在を感じました。
この場所で総持寺を(世の中を?)
見守っておられる存在のようです。
私はいつも御神気を感じると、
自分で意識するよりも先に ぶわっと涙が出るのですが
今回は泣きませんでした。
まぶたに青白い光を感じる初めての感覚。
今までに会ったことのない感じたことのないご存在?
でもその強い白い光を感じていると
第3の目や頭頂部の辺りがキーンとしてきて
(変なたとえですが、
かき氷をたくさん食べた時みたいな)
どんどん上へ引っ張られそうな不思議な感覚が続き
とうとうこれ以上続けると
本当に上ってしまいそうな感覚になったので
お参りを終えてその場を離れて
グラウディングをしました。
あの光はなんだったのでしょうか。
たまたま昨日、お友達から
「プレアデス+かく語りき」という本を
貸してもらってその本を手に取ったら、
方光堂で感じたのと同じ、キーンとする感覚がありました。
・・・それから数年後にもう一度、
総持寺にお参りした時には
放光堂でその光は感じませんでした。
(追記&画像追加 2021.09.02)
明治44年(1911)11月5日、
總持寺が能登から移転されて、
最初に法要が厳修された建物で、
当時は、大祖堂として中心的な役割を果たしていたそうです。
お参りしていたら、本堂の御本尊の奥に
何か白く光っている尊い存在を感じました。
この場所で総持寺を(世の中を?)
見守っておられる存在のようです。
私はいつも御神気を感じると、
自分で意識するよりも先に ぶわっと涙が出るのですが
今回は泣きませんでした。
まぶたに青白い光を感じる初めての感覚。
今までに会ったことのない感じたことのないご存在?
でもその強い白い光を感じていると
第3の目や頭頂部の辺りがキーンとしてきて
(変なたとえですが、
かき氷をたくさん食べた時みたいな)
どんどん上へ引っ張られそうな不思議な感覚が続き
とうとうこれ以上続けると
本当に上ってしまいそうな感覚になったので
お参りを終えてその場を離れて
グラウディングをしました。
あの光はなんだったのでしょうか。
たまたま昨日、お友達から
「プレアデス+かく語りき」という本を
貸してもらってその本を手に取ったら、
方光堂で感じたのと同じ、キーンとする感覚がありました。
・・・それから数年後にもう一度、
総持寺にお参りした時には
放光堂でその光は感じませんでした。
(追記&画像追加 2021.09.02)
2007年08月10日11:52横浜市にある曹洞宗総本山、総持寺
昨年暮れからずっと気になっていた
曹洞宗 大本山 総持寺へ
ようやくお参りすることができました。
總持寺の総門。
三松関(さんしょうかん)
三門
三門(さんもん)には、 驚きました。
だってこの三門 薄いピンク色 を
使っているんですもん。
朱色のは見たことありますが、
ピンクは初めて。
ピンクが好きな私としては、
きゃあ~♪。
大祖堂
大祖堂は、 一般的にいわれる
開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿です。
いすが置いてあったので、
お参り後しばらく
そこで休ませていただきました。
(真夏の太陽ギラギラで
かなり暑くてへとへと・・・)
その建物はとても広くて
すばらしかったのですが
広い分、仏様もかなり奥で遠かった・・・
(ちょっと涙)
そのあと境内の建物を巡りましたが、
放光堂がすごかったんです!
大祖堂よりも。
(続く)
曹洞宗 大本山 総持寺へ
ようやくお参りすることができました。
總持寺の総門。
三松関(さんしょうかん)
三門
三門(さんもん)には、 驚きました。
だってこの三門 薄いピンク色 を
使っているんですもん。
朱色のは見たことありますが、
ピンクは初めて。
ピンクが好きな私としては、
きゃあ~♪。
大祖堂
大祖堂は、 一般的にいわれる
開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿です。
いすが置いてあったので、
お参り後しばらく
そこで休ませていただきました。
(真夏の太陽ギラギラで
かなり暑くてへとへと・・・)
その建物はとても広くて
すばらしかったのですが
広い分、仏様もかなり奥で遠かった・・・
(ちょっと涙)
そのあと境内の建物を巡りましたが、
放光堂がすごかったんです!
大祖堂よりも。
(続く)
2007年08月09日08:302007年しょっぱなから曹洞宗総持寺のシンクロニシティ
2007年1月5日、
バスの中で、図書館で借りたばかりの本を読んでいた。
夢中になりすぎて、気が付いたら、
降りるはずの菊名駅を過ぎてしまった。
あちゃー。もう途中で降りてもしょうがない。
終点まで行ってしまおうと、
連れて行かれた鶴見駅。
駅に向かう途中で大きなお寺を見かけた。
それは、曹洞宗大本山のひとつ総持寺だった。
私の母方の先祖代々の墓も曹洞宗。
(数年後にわかったのだが、父方も曹洞宗だった)
菩提寺の総本山はもうひとつの大本山、永平寺。
そして、浜松に伯母の法事に行ったときに、
伯父から話を聞いた舘山寺(浜名湖)も曹洞宗。
子どもの事、祖母や母から「舘山寺」という言葉を
何度も聞いていたのを覚えていたのである。
舘山寺は、もとは空海によって810年に創建された真言宗の古刹で、
鎌倉時代に兵火で一度は焼失したものの、
源頼朝が自らの祈願寺として再建した。
徳川家康公によりご朱印物を賜り、東海地方の名刹だった。
明治の廃仏棄釈で廃寺となった。
しかし明治23年(1890年)に
秋葉の火祭りで有名な秋葉山・秋葉寺(しゅうようじ)の
出張所を持ってくる名目で再興した。
その際にを舘山寺でも祀ることになり、
山号も「中嶺山」(ちゅうれいざん)から「秋葉山」に改め
真言宗の伝統を引き継ぎながら、曹洞宗の祈願寺として
今日に至っている。
うわ。真言宗→曹洞宗がつながったよん。
さらに。
2月に行った京都の清水寺。
ここは宗派に属さない単立のお寺だと
出発前に調べてチェック済みだった。
だから逆に清水寺拝観コースの最後に
横浜総持寺の石碑が立っていることに、
えらく驚いたのだった。
なんで(@@)??
ここによりによって、あの横浜の総持寺つながりの石碑が?!
この時は、よくわからなかったことが、
もっといろいろ勉強した後で行って碑を読むと
わかるかもしれない・・・。
いつかもう一度、清水寺をお参りしよう。
そしてもうひとつ・・・
私が高校生の時の愛読書を、先日なぜかふっと
思い出した。
「
」という本。
お書きになった小沢道雄(どうゆう)師。
どーゆー方かっていうと(笑)
戦争で満州からロシアに捕虜として連れて行かれて
凍傷にかかり足を切断して、日本に帰国。
足のない自分に悩み葛藤してから、
「自分は毎日、本日ただいま誕生した。
比べる過去はない。」
と、悟りを開かれた方。
私はこの本を読んで泣いた。感動した。
おすすめ本!
大好きで、つい2年前まで持っていた。
処分するときも捨てられないように
わざわざ区役所の市民図書に持っていったのだった。
そこで、たまたま来ていたおばさまと話して、
その方が「これも出会いね」と言ってその本をお持ち帰りに
なったのだが・・・・
それが無性に読みたくなって図書館から取り寄せた。
つい先ほど、借りてきて確認した。
あら・・・この師がいらしたお寺は・・・まさか・・・
はい、曹洞宗のお寺でした!!妙法寺。
それも、所在地は永平寺のほうが近いのだが
横浜の総持寺系のお寺だった!!!
わーーーーーーーーーーー
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
やはりこれは、一度は総持寺に行かなくては。
ってか、行きたくなりますわ。
ここまでつながると。
・・・ここまで書いたのが、今年の3月1日。
そして8月になって、ようやく
総持寺へのお詣りが実現したのだった。
バスの中で、図書館で借りたばかりの本を読んでいた。
夢中になりすぎて、気が付いたら、
降りるはずの菊名駅を過ぎてしまった。
あちゃー。もう途中で降りてもしょうがない。
終点まで行ってしまおうと、
連れて行かれた鶴見駅。
駅に向かう途中で大きなお寺を見かけた。
それは、曹洞宗大本山のひとつ総持寺だった。
私の母方の先祖代々の墓も曹洞宗。
(数年後にわかったのだが、父方も曹洞宗だった)
菩提寺の総本山はもうひとつの大本山、永平寺。
そして、浜松に伯母の法事に行ったときに、
伯父から話を聞いた舘山寺(浜名湖)も曹洞宗。
子どもの事、祖母や母から「舘山寺」という言葉を
何度も聞いていたのを覚えていたのである。
舘山寺は、もとは空海によって810年に創建された真言宗の古刹で、
鎌倉時代に兵火で一度は焼失したものの、
源頼朝が自らの祈願寺として再建した。
徳川家康公によりご朱印物を賜り、東海地方の名刹だった。
明治の廃仏棄釈で廃寺となった。
しかし明治23年(1890年)に
秋葉の火祭りで有名な秋葉山・秋葉寺(しゅうようじ)の
出張所を持ってくる名目で再興した。
その際にを舘山寺でも祀ることになり、
山号も「中嶺山」(ちゅうれいざん)から「秋葉山」に改め
真言宗の伝統を引き継ぎながら、曹洞宗の祈願寺として
今日に至っている。
うわ。真言宗→曹洞宗がつながったよん。
さらに。
2月に行った京都の清水寺。
ここは宗派に属さない単立のお寺だと
出発前に調べてチェック済みだった。
だから逆に清水寺拝観コースの最後に
横浜総持寺の石碑が立っていることに、
えらく驚いたのだった。
なんで(@@)??
ここによりによって、あの横浜の総持寺つながりの石碑が?!
この時は、よくわからなかったことが、
もっといろいろ勉強した後で行って碑を読むと
わかるかもしれない・・・。
いつかもう一度、清水寺をお参りしよう。
そしてもうひとつ・・・
私が高校生の時の愛読書を、先日なぜかふっと
思い出した。
「
」という本。
お書きになった小沢道雄(どうゆう)師。
どーゆー方かっていうと(笑)
戦争で満州からロシアに捕虜として連れて行かれて
凍傷にかかり足を切断して、日本に帰国。
足のない自分に悩み葛藤してから、
「自分は毎日、本日ただいま誕生した。
比べる過去はない。」
と、悟りを開かれた方。
私はこの本を読んで泣いた。感動した。
おすすめ本!
大好きで、つい2年前まで持っていた。
処分するときも捨てられないように
わざわざ区役所の市民図書に持っていったのだった。
そこで、たまたま来ていたおばさまと話して、
その方が「これも出会いね」と言ってその本をお持ち帰りに
なったのだが・・・・
それが無性に読みたくなって図書館から取り寄せた。
つい先ほど、借りてきて確認した。
あら・・・この師がいらしたお寺は・・・まさか・・・
はい、曹洞宗のお寺でした!!妙法寺。
それも、所在地は永平寺のほうが近いのだが
横浜の総持寺系のお寺だった!!!
わーーーーーーーーーーー
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
やはりこれは、一度は総持寺に行かなくては。
ってか、行きたくなりますわ。
ここまでつながると。
・・・ここまで書いたのが、今年の3月1日。
そして8月になって、ようやく
総持寺へのお詣りが実現したのだった。