2009年05月
源平の合戦の最終局面で、
熊野別当 湛増(弁慶の父といわれています)が
熊野勢力は平氏に味方するか源氏に味方するかを迷い、
鶏を戦わせて、神意を問うことにしたのです。
赤の鶏を平氏、白の鶏を源氏に見立てて
戦わせると、赤の鶏は白の鶏を見て逃げだしました。
これを見て、湛増は源氏に味方することを決め
200余艘に及ぶ熊野水軍を率いて壇ノ浦に急行し、
この故事により、新熊野雞合(とりあわせ)権現と
呼ばれるようになり
明治になって神仏分離のため
闘雞神社となりました。
頼朝公に天皇から勅命が届く。
「平氏を討て」と。
影の立役者に那智の滝で修行した文覚上人あり。
一の谷の合戦や壇ノ浦の戦いの場面、
この時活躍したのは、熊野水軍が
テレビで見せられ、
はいはい、平氏は赤、源氏は白!
2023年追記
これは昨年わかったのですが
私は前世で、平氏の武将に使える武士だったんですよー。
弁財天様が好きです♪
- 雞姫弁財天社 ご祭神 市杵島姫命
湧き水があったのでしょうか。
カッコイイ弁慶像があります♪
そして境内社の
- 戎大黒神社 ご祭神 恵比寿、大黒天
手に持ってドンドンと叩いてみました。
後で社務所で伺ったところ、
ぴったりの行動だったと。
それで、ある本を思い出しました。
この本に
『耳が聞こえないことを聾(龍の耳)と書くのは
昔から龍は耳が聞こえないという俗説があるから。
龍つながりの恵比寿の耳も聞こえないはず。
なぜなら恵比寿は、龍(蛇)つまり「水辺の者」だから。』
(P298より要約)
そういえば、確かに
闘鶏神社・新宮・青岸渡寺(七福神を祀っている)には
それぞれトンカチが置いてありました。
熊野を思い出す曲となっていたのです。
熊野2日目。
和歌山からレンタカーで田辺へ。
闘鶏神社のすぐ隣が児童公園なのですが
そこにあるご神木がすごい!
樹齢約800年の大樟です。
動乱の世の中をずーーっと
この地で見守ってきた、
という貫禄がありました。
隣の人が小さく見えま~す。
ここまで大きいご神木、
私は初めてかも…
そばに立ってご神木を見上げているだけで
ほわ~っと癒されて
しばらく離れられませんでした。
そしていよいよ神社へ・・・
なにやら雅楽の音が聞こえるな~と思ったら、
結婚式が終わったところでした。
めでたい!!
ところで、
なぜ 闘鷄神社に参拝したのかというと・・・・
参考にしたサイトはこちら。
神仏霊場会の公式ホームページ
正確には、神仏霊場会推奨の
『週刊 古社名刹 巡拝の旅 』という雑誌の2号
「熊野古道」特集で知りました。
神仏霊場会(近畿の百五十の社寺)とは、
西国の神社とお寺が発足した会です。
かつて明治の神仏分離までは
神社とお寺はひとつになっていました。
神社だけの本、
お寺だけの本と違い
神社とお寺、両方紹介しているのが
新しい時代を感じます。
1 | 和歌山1番 | 熊野速玉大社 | 新宮市新宮1 |
2 | 和歌山2番 | 青岸渡寺 | 東牟婁郡那智勝浦町那智山8 |
3 | 和歌山3番 | 熊野那智大社 | 東牟婁郡那智勝浦町那智山1 |
4 | 和歌山4番 | 熊野本宮大社 | 田辺市本宮町本宮1110 |
5 | 和歌山5番 | 闘鷄神社 |
田辺市湊655
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大阪・奈良・和歌山・京都・標語・滋賀5県の
神社とお寺。
150番まであります。
プラス番外で伊勢の内宮と外宮。
今回の旅行には、
5つの霊場が入っています。
- ☆オマケ☆
神仏霊場会を検索していたら、
出雲にも見つけました!
出雲國神仏霊場
次回の指令がここにも(^^;)
そうなんです、旅行中に
出雲シンクロがいくつかあったんですよ。
追記
(熊野に行く前から、
この次は、出雲かなーなんて言ってたら
一年も経たないうちに、2010年2月に鳥取へ行くことに!
惜しいあと一歩手前)
民宿に1泊と なかなか強行日程ではありましたが、
無事に旅行は終わりました。
写真は今回の旅行のハイライト、
那智の滝です。
この滝が見たくて実現した熊野旅行!!
そしてやはりここが一番すばらしかったです。
泣きました、ご神気を感じて。
早朝たっぷり2時間を
この滝を祀っている飛瀧(ひろう)神社で
過ごしました。
早朝のためか、時には貸切状態に(^^)v
旅行の行程は以下の通り。
神社の詳細についてはまた後ほど詳しく(^^;)
5月22日(金)
横浜駅(YCAT)から
22時35分発の長距離バスに乗る。
5月23日(土)
朝 6時20分頃 和歌山駅着。
レンタカーに乗り
熊野方面へ海沿いコースを走る。
最初の神社は、
闘鶏神社 (田辺市)
中辺路を通り
熊野本宮大社
大斎原(おおゆのはら)
(熊野本宮大社がもともとあった場所です)
そして民宿 美滝山荘へチェックインしたのが
夕方4時半過ぎ。
お風呂に入り
お食事をいただき
その日は翌朝にそなえて早めに就寝。
いや、備えなくても
眠かったんだけど(^^;)
夜行バスでよく眠れなくて。
24日(日曜日)
早朝5時20分、飛瀧神社参拝
民宿に戻り朝食。
チェックアウト後に
熊野那智大社
青渡岸寺
熊野新宮、熊野速玉大社 参拝
勝浦で昼食をとり
海沿いの道を和歌山に向かってひた走る。
途中で水平線がまあるく見える本州最南端の
潮岬(しおのみさき)へ。
19時30分 和歌山駅着
夕食をとる。
21時30分、夜行バスに乗る。
25日(月曜日)
朝6時過ぎに横浜YCAT着。
車中2泊、民宿1泊の熊野旅行は
こんな感じでした。
この栗のようなタマネギのようなカタチが可愛くて。
摩尼宝珠は水晶玉の一箇所を鋭角に研磨したもので、
水滴のような形をしていることから水のエネルギーを持ち、
また、その形は炎も表しているという、
相反するエネルギーをあわせ持っています。
また、宇宙のエネルギーをキャッチするアンテナとも言われ、
宝珠のパワーは、あらゆる願いを叶えてくれると。
私となぜかご縁がある
弁財天さまや龍神様が
(虚空蔵菩薩さまもたまに)
手に宝珠をお持ちなのです。
最初はそういうつながりがあるとは
まったく知らなかったので驚きました。
↑
こんなふうに。
そしてここのところ、弁財天さまが気になってました。
そんな折、
5月4日に増上寺(東京都・港区)を拝観したとき、
たまたま地図で宝珠院(ほうしゅいん)という
お寺がそばにあり
しかも弁天池があると知り、
私のアンテナが ピピっと立ちました!!
宝珠院に弁財天さま!!!
ウキャー!!\(^▽^)/
これは行くっきゃないでしょう!!
ゴールデンウィークで混雑している
東京タワーのすぐ近くに、
ひっそりと宝珠院はありました。
朱塗りの社殿の弁天堂に弁財天様♪
隣の建物には、
どっしりとしたお閻魔様の像も。
本堂が別にあります。
こちらが宝珠院の本来のご本尊さま。
本堂の隣には
ヘビちゃんの像もありました。
わー珍しい。
弁財天さまは、数箇所参拝しましたが
こんなに大きなヘビちゃんの像を
見た記憶がない。
「港区七福神・弁財天」と立て札があります。
わりと静かなのでしょうね・・・
それでも私が参拝している間は
チラホラ人が境内に。
でも、ほとんどの人が、手を合わせることもなく
立ち去っていく・・・・。
境内の隣には、緑に囲まれた弁天池が。
ちょっと荒れた雰囲気(当時)ではありますが、
水の音が心地よい。
(数年後、公園は整備されてきれいになりました)
ベンチもあり、ゆっくりできます。
弁財天さまのことが気になっていた私は
この場所に来ることができたご縁を
メッセージと受け取りました。
家族が何気につけたテレビで
首都圏でおすすめのウォーキング特集を
やっていました。
第〇位はこちら・・・・・、
とカウントダウン&ガイドをしていて
面白そうだったので、食後の片づけをしつつ
チラチラ見てました。
そうしたら、第3位だったかな?
六本木が出てきて
その界隈の公園や神社の参拝をして
七福神の紹介をしているではないですか。
え!?\(゜□゜)/
六本木って・・・港区だよね???
すみません。横浜市民なんで知らなくて←言い訳。
その辺が人生ン十年の今まであやふやでした。
まーさーかー!!!
そう、これは
六本木界隈限定のウォーキングコース紹介ではなく
港区七福神を巡る案内だったんです!
というわけで、私が前日行ったばかりの
宝珠院の弁財天さまが、
コースの最後に出てきました!!
昨日の今日で、
・・・・これですか(^▽^;)
見てきたものや聞いた話が、
その日もしくは数日以内に
テレビや本に出てくるのは、私にはあるあるです。