2012年01月
2012年01月29日13:14川崎市麻生区の月読神社
月読さまが大好きです♪
月読神社の境内に入った途端に!!
境内全体をすっぽりとやわらかいやさしいエネルギーが
*****************************
伊勢皇太神宮別宮 麻生総鎮守 月讀神社
初詣、家内安全、交通安全、厄除、安産、受験・就職、
地鎮・上棟・竣工祭、方位除、七五三祝、各祈願
月讀神社由緒 祭神 月夜見尊
(日本國の天照大神と共に夜の國をしろしめし給う)
配祀神 伊弉諾尊・伊弉冉尊、大日霊貴尊、 白山媛命、猿田彦命
祝祭事 元旦祭1月1日、 合祀記念祭7月11日、
例大祭9月29日、 七五三祭11月15日
当社は約450年前、
武蔵國都築郡麻生郷の領主小島佐渡守が
打続く応仁戦乱の苦悩にあえぐ領民のため、
天下泰平五穀豊穣を祈願して、
伊勢皇大神宮別宮月讀宮の分霊を勧請、
天文3年9月29日亀井城の卯の方に社殿を建立し、
1尺1寸8分の尊像を奉安したのが創始である。
宝永5年の富士山噴火、 又天保3年の大飢饉等に際し、
上麻生三井・下麻生安藤の両領主を始め 領民挙げての発願により、
しばしば社殿を修復、 領内安穏子孫繁栄の祈祷を行った。
明治43年4月内務省神社局は 神社の合併を奨めたので
大正5年7月 11日上麻生熊野神社・白山社、 下麻生日枝神社を合祀、
同時に指定村社麻生神社となったが、 昭和8年2月月讀神社の社号は
全國にも極めて稀なところから 再び元の月讀神社を称えることになった。
その後、第二次世界大戦等幾多世情の変転を経て、
社殿の荒廃が甚だしくなったため、 復興の議が高まり、
昭和40年後半年以来450戸の 氏子及び崇敬者等相集い相謀り、
総工費金4500万円也を以て、 同49年9月 29日、
鉄筋コンクリート神明造の新社殿が落成遷宮、
引続き玉垣社務所等 51年3月、 総誇示を竣成した。
月読神社の境内に入った途端に!!
境内全体をすっぽりとやわらかいやさしいエネルギーが
包んで いるのです。
「やわらかいエネルギー~♪」
というのが最初の私感想でした。
他にも神社を参拝しましたが、
境内全体がやわらかいエネルギー、
というのを
感じたのはここだけでした。
やはり月読様は、優しいお方~♪
エネルギーを感じながら浮かんできた月読さまのイメージは
髪の長い白い装束をまとった長身のやさしそうな男性でした。
ここは私のパワーチャージにいい感じ♪
お気に入りの神社のひとつです。
アクセスが不便だし、
地元民でないと ちょっとわかりにくいところです。
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伊勢皇太神宮別宮 麻生総鎮守 月讀神社
初詣、家内安全、交通安全、厄除、安産、受験・就職、
地鎮・上棟・竣工祭、方位除、七五三祝、各祈願
月讀神社由緒 祭神 月夜見尊
(日本國の天照大神と共に夜の國をしろしめし給う)
配祀神 伊弉諾尊・伊弉冉尊、大日霊貴尊、 白山媛命、猿田彦命
祝祭事 元旦祭1月1日、 合祀記念祭7月11日、
例大祭9月29日、 七五三祭11月15日
当社は約450年前、
武蔵國都築郡麻生郷の領主小島佐渡守が
打続く応仁戦乱の苦悩にあえぐ領民のため、
天下泰平五穀豊穣を祈願して、
伊勢皇大神宮別宮月讀宮の分霊を勧請、
天文3年9月29日亀井城の卯の方に社殿を建立し、
1尺1寸8分の尊像を奉安したのが創始である。
宝永5年の富士山噴火、 又天保3年の大飢饉等に際し、
上麻生三井・下麻生安藤の両領主を始め 領民挙げての発願により、
しばしば社殿を修復、 領内安穏子孫繁栄の祈祷を行った。
明治43年4月内務省神社局は 神社の合併を奨めたので
大正5年7月 11日上麻生熊野神社・白山社、 下麻生日枝神社を合祀、
同時に指定村社麻生神社となったが、 昭和8年2月月讀神社の社号は
全國にも極めて稀なところから 再び元の月讀神社を称えることになった。
その後、第二次世界大戦等幾多世情の変転を経て、
社殿の荒廃が甚だしくなったため、 復興の議が高まり、
昭和40年後半年以来450戸の 氏子及び崇敬者等相集い相謀り、
総工費金4500万円也を以て、 同49年9月 29日、
鉄筋コンクリート神明造の新社殿が落成遷宮、
引続き玉垣社務所等 51年3月、 総誇示を竣成した。