2017年04月
朝のこと。
来月、とある講座を受けることになり、
その会場へ行くために
最寄りのバス停まで歩いたら何分かかるのか、
今朝、試したい・・・ふっと降りてきました。
(としか言いようがない)
GWに入っていることもあり、
昼になったら行楽の車で
バス停前の道路はさぞかし混んでくるだろうから、
さわやかな朝、今のうちがいいなと。
でも、別にそれは今日でなければならない、
という必然など全くありませんでした。
5月に入ってからだっていいんです。
バス停まで歩いて、所要時間を計って
戻ってくるだけ・・・
これは直感でした。
なんだかわからないけど
今朝、今出た方がいい!
理由がなくそう思うときは、
きっと何かメッセージを受け取っているんだと
思います。
それはほんとうにふっと根拠なく
降りてくるので、
実行しないで終わる場合もあります。
だけど、その直感は、
私のアタマで考えたもの、理屈ではない
何かなので、さっさと動いた方がいいと
経験でもわかっていました。
人に合うわけでも
お出かけの予定があるわけでもないのに、
朝の七時過ぎに出かけるなんて・・・
岡山に来てから実行したことがなかったけど、
思い切って出かけることに。
そこでまた閃きました。
帰りは歩くのはだるいなと思い、
行きは自転車を押して歩いて時間を計り、
さっさと自転車で帰ってくれば、
楽じゃん♪(横浜弁)と、自転車で出かけました。
早朝、自転車で出かけて
すぐに帰るつもりが・・・・・
バス停までついて、よしこれで目的達成したと
自宅へ戻る途中に、
またまたふっと降りて来ました。
そうだ、前から気になっていた
磐座があるという「尾針神社」(PDFファイルです)に
参拝してみようと。
場所はアバウトにしかわかっていなかったので、
たどり着けるかどうかの確信もないまま
このあたりかな?と思う道を走っていたら、
迷うことなくすんなり到着!
うわ!もう着いちゃったよ!(@@)
(本人もびっくり)
もっとぐるぐる迷うかと思っていたのに。
参拝している間に、神社の宮司様とお話しができて
明日5月1日の
月次祭(つきなみさい)にも
参加させていただく流れとなりました・・・
『結婚の嘘』を読みました。
目次
第一章 結婚観の嘘
第二章 結婚の誓いの嘘
第三章 夫婦は理解し合えるという嘘
第四章 結婚生活はやり直しができるの嘘
第五章 結婚生活がうまく行くというHOW TO本の嘘
第六章 老夫婦の絆は深まるの嘘
いやあ、
言ってくれました、
痛快です。
部屋で一人で読んだから
良かったようなものの、
そうそう!そうなのよ~と
読みながら、ウンウンうなずいている私は
傍から見たら
かなりアヤシイおばさんだっただろうな(笑)
妻の立場のモヤモヤの正体は
コレだったのか。
「なんで夫はこうなんだろう?」
じゃなくて
「なんで日本の男性は・・・」
だったんだなあ~。
(私は他の国の男性は知らん)
そういう風に広げると
ちょっと肩の力が抜けたかな。
しょーがないのかあと。
「結婚は互助会だ」
なるほどな~と(笑)
この本には柴門ふみさんだけではなく
いろいろな方のケースや声が
書いてある。
やはり皆さん、
感じているんだな。
夫は妻に対して
悪気がない自己中心的な考えだと。
しかもそれは、
外の人には見せない。
妻にだけ、なのだ。
だから平気で他の人にだったら
しないようなことができるわけで。
仕事だからと約束を破る。
妻の趣味をけなす。否定する。
聴いてる音楽の趣味が悪いとか。
勝手にテレビのチャンネルを変えて、
文句を言えば、そんなくだらない番組、と
さらに追い打ちをかける。
約束を破っても
他人にならあやまるんだろうけど
妻や子どもなら
そんなに悪いと思ってない。
些細な事になぜに腹が立つのか?
私は、夫が妻を一人の人間として
尊重していないことに
腹を立てているのだと思う。
自分のことは棚に上げた夫の偏見で、
意見される数々の暴言。
世界で一人、妻だけだよね。
(あ、子どももか)
こんな暴言吐いたり
ひどい扱いされるのって。
他人には決して言わないよね。
こういう扱いしないよね。
ちゃんと謝るよね。
・・・・と思ってしまうので
ある。
柴門さんは、ここの章は
ちょっと詰めが甘くて残念だった。
もっと突っ込みいれてほしかった。
そして「卒婚」についても
意見を書いていたけど
ちょっと弱いかな。
ここだけは当事者の話を
聞いていないみたいで
自分の考えだけ。
「卒婚は中途半端な選択肢」
「心の問題を先送りしているんじゃないか」と。
「いいとこどり」だと。
そうかな?
私はそうは思わない。
いろいろな形があっていいと
思う。
ひとそれぞれで、
やり方があると思う。
彼女は「やんわり家庭内別居」を
勧めているけれど
それではしんどい人も
いるはずだ。
「離婚か家庭内別居かどちらか」に、
なんで白黒つけにゃならんのか。
「どっちもイヤ」という人もいるだろう。
柴門ふみ氏は
老後は夫を施設に入れるなどもってのほかで
介護にいそしむ予定のようなので、
意外と(?)保守だったんだと感じた。
義父の介護を経験してきた私は
介護施設にかなり助けられたので、
ここは気持ちよく同意はできない。
まとめ☆
前半の、著者がすでに経験してきた部分は
痛快だったが、
後半、まだご自身が経験していない老後の
これからの生き方がテーマになると
ちょっと物足りない感じだった。
あくまで頭で考えた理想論で
私にはあまり参考にならなかった。
「赤毛のアン」が
グリーンゲイブルスに引き取られる前の
話をモンゴメリじゃない作家が
書いていると知った。
「こんにちはアン」
しかもその作品、
子育て終了後は
ノーチェックだった
アニメ世界名作劇場で
やっていたと。
試しに読んでみたら
原作に劣らず面白くて
布団に入ってからも夢中で読んでて
気が付いたら・・・
アレ!?夜中の3時!!!!!
うそでしょ~
本を読んでいて
そんな夜更かししたなんて
ありえない(@@)
というくらい、まあ
インパクトのある
話だったわ・・・・。
特に、アンを二度目に引き取った
24歳のハモンド夫人が凄まじい。
双子を年子で3組産んで、
しかもその上に年子の
女の子ふたりいるって・・・
はい、計算してみましょう。
8人ですよ?(^^;)
しかもアンが来たとき、
みな4歳以下という・・・・
どんだけ子宮を酷使してるんですか
ハモンド夫人!!
そしてどんだけ仕込んでいるんですか!
ハモンドの旦那!
奥様、死にますよ?
8人の乳幼児をアンと二人で見るって
日本の保育士の基準なら
定員オーバーでしょ!
そのめちゃくちゃな状況で
子どもたちの世話を淡々としている
アンもすごすぎ。
それでも孤児院よりは
ましだったのに、
ハモンド夫人のところでも
いろいろありまして
(細かいネタバレしないように
控えておきますわ)
とうとう行くことになってしまって。
↓この風景は、グリーンゲイブルスに向かう
アンで、この話の最後のところね。
これが「赤毛のアン」に続くわけだ。
久しぶりに本作も読みたくなって
しまったわ。
さて、そんなとんでもな世界に浸りきった
読書の興奮覚めやらぬ
夜更かした次の日。
たまたま妹が、
子どもが結婚した空の巣症候群で
凹んでいたので
さっそくこの本をおすすめしたら、
妹も知らなかった。
妹のメールのタイミング、
タイムリーだったわ。
あらま、CDも出てたのね。
玉野市へお出かけ。
サトウチカさんのお話し会に参加しました。
横浜市で電力自給生活をされています。
横浜時代には、知らなかったサトウさん、
なぜか岡山でつながりました。
3.11後に、電力会社に頼らず
どのような流れで電気の自給自足生活を始めたのか、
その様子などお話しをうかがっている間に
もくもくと太陽光でお仕事してました。
曇っていたのに、途中からちゃんとお日様が出てきて
(お日様もサトウさんを応援している!)
リンゴのコンポートが甘~く煮えました。
スライスして容器に入れただけで
こんなに美味しくなるんだ。
すごい
そしてなんて楽ちんなんだ
太陽光のエネルギーが入った料理は、
簡単でしかもパワフル!
腐りにくいというメリットも。
そしてサトウさんの生き方そのものが、
ほんとにステキ。
生き生きとしていて
まさしく天命を実行されている方。
しかもお肌が透き通るようにきれいなのよ~!
それもオフグリッド生活を始めてからだそう。
似ていて
今まであまり気にしていなかったのだけど、
実は異なるものだと
以下の本で知りました。
(参考P9~11)
イワクラは磐座。
持続的・永続的なもの。
『古事記』では「石位」
『日本書紀』では「磐座」
『風土記』では「石坐」などの
文字を用いているそうです。
対するイワサカは、
『古事記』には、一度も出てこない。
『日本書紀』では、「天津磐境を起し樹てて」
『古語拾遺』でも同じく「天津磐境を起し樹てて」
この他の古典には一切ないということです。
「天津磐境を起し樹てて」というのは
人工的なもので神籬同様祭りの度に設けた
一時的な施設であり
非持続的・非永続的なものと推察されとのこと。
なるほど~。
薬師寺 慎一先生の本は、
吉備津彦神社の茶店で知りました。
そこに薬師寺先生の本があったのです。