熊野(和歌山県)2009
那智大社・青渡岸寺を参拝中に
奇跡がおこりました。
那智の滝での祈りが通じたのか、
天気予報が外れて、
新宮の参拝が終わる12時前まで
カラッと晴天となり(^^)v
青渡岸寺の展望台から、
晴天下の美しい那智の滝を拝めたのです。
またも願いが叶いました。
その後、熊野新宮とも呼ばれる
熊野速玉大社へ参拝。
こちらでも結婚式に遭遇。
神倉神社にも参拝したかったけれど
良いお天気はここまで。
神倉神社を目指して車を走らせ、
迷ってようやく鳥居が見つかった~と
思ったら、
ポツポツと大粒の雨が降ってきて
雷まで鳴り始めました!
時計を見たら12時。
そろそろお腹も空いてきたし、
私は、膝の痛みがありました。
神倉神社の階段はとんでもなく
上り下りしにくかったので、
神倉神社には今回は呼ばれていない、
参拝のタイミングではなかったと
あきらめて勝浦へ移動。
勝浦に来たら、晴れていました。
(追記 神倉神社の参拝が叶ったのは
9年後の2018年でした)
勝浦港のお店で昼食をとり、
海沿いの道を和歌山に向かってひた走りました。
その後も車を走らせていると
時々雨が降り、
車を降りると晴天!!ということが
何度かあり。
濡れずにすみました。
途中で水平線がまあるく見える本州最南端の
潮岬(しおのみさき)へ。
横浜や東京では見られないこの景色。
ほんとーに水平線が丸いよ~!!
と感動しました。
地元の方には当たり前のようで
パンフレット見ても全然ウリにしていないので
ああもったいない。
その後和歌山駅に向かって
海沿いの道をひた走る。
途中に渋滞があり、
余裕を持ったつもりが、和歌山駅到着19時30分と
かなり遅くなってしまい、
予定を変更して駅の近くで夕食を取りました。
21時30分、夜行バスに乗って
和歌山県とお別れ。
25日(月曜日)
朝6時過ぎに横浜YCAT着。
そこからは電車で帰宅。
お疲れ様。
飛瀧神社(飛瀧権現)は
熊野那智大社の別宮。
日本三名瀑の一つである那智の瀧を
「大巳貴神」の御神体として
祀っています。
日本の滝100選、
日本の名水100選、
日本の音のある風景100選
今回の熊野旅行のハイライトである
飛瀧神社に、
早朝5時過ぎから参拝しました。
龍のように見えた木。
境内で、落差133メートルの滝を拝んだり
写真を撮ったり
感激のあまり泣いたりしているうちに
朝6時になり、
飛瀧(ひろう)神社の社務所が開きました。
(お滝拝所は6時30分~16時30分)
拝観料300円を納めて
いよいよお滝拝所に向かいました。
ここは、おすすめです!!
もっと滝のそばに行けるんですもの~。
それに入ってまもなく
延命長寿の水があります。
このお水を受けて飲むことができます。
もちろん、湧き水・清水に目がないので
さっそくお水をいただきました♪
その神盃は持ち帰りOKです。
割れないように大事に包んで
持ち帰りました。
ネットで調べたところ、
滝の水をひいていると
書いてあるHPもありましたが、
正確な情報は未確認です。
さらに奥へすすみ、
二階建てになっている滝の拝所へ。
段差があるので
二箇所それぞれ、ちょっと風景が変わります。
上の拝所でた~っぷりと
滝からのマイナスイオンを浴びまくりました。
ここにいた時間が、一番長かった。
しあわせ~なひと時でした。
昨夜から今朝にかけての和歌山の天気予報は
那智・勝浦・新宮は雨の確率40パーセント、
そして雨じゃなければ曇りの予想。
予想気温も低くちょっと肌寒い一日。
参拝にはあいにくの天気となりそうだと
前の夜から思っていたのですが、
確かに朝、ちょっと雨がぱらつき、
そして曇っていました。
できれば、いやぜひ
晴れた那智の滝を拝ませてくださ~い!!と
滝の神様にお願いしました。
さてこの願いは叶うのか?
まだまだ続く☆
熊野に行きたいと最初に思ったのは、
2006年の秋のこと。
当時、テレビで那智の滝を見てから。
でも熊野は遠いので、なかなか
ハイでは行きましょう、というわけにもいかず。
そんなこんなしているうちに、
2008年の後半あたりから、
熊野シンクロがおこってきました。
地元横浜市の公民館で、
連続3回の熊野講座があり参加。
知人が熊野へ行ったので話を聞いたり、
都内でも高野山・熊野講座があってこちらにも参加。
熊野に呼ばれてる?!という思いが
今年に入ってからますます強くなり
シンクロも、本当にえええ~という盛り上がり。
そうして実現した今回の熊野三山めぐりで
一番楽しみにしていたのが
この那智の大滝でした。
早朝参拝は、大正解。
5時20分に境内に着いた時、
貸切状態でした。
それで、私はじっくりと滝を拝みながら
大国主様からのメッセージを
受け取ることができたのです。
滝は、想像以上の迫力でした。
滝を拝んでいたら、
強いご神気を感じて、
熱い涙がしばらく止まらず、
ハンカチを目にあてて
立ち尽くして泣いていました。
うれしくて、泣いてました。
ご神気を感じたのでしょう。
とにかくありがたさを感じて、感極まったのです。
もう理屈ではなく。
そういえば、
「過去世で熊野にいたらしいよ」って
前に言われたことがありました。
懐かしいのかな?
入れ替わり立ち代り、
チラホラと 参拝者が来る中、
時には貸切状態になるときもあり、
たっぷりと どっぷりと うっとりと
那智の滝のパワーを浴びて 堪能しました。
滝の写真を撮っていたら、
カラスが滝の前をスーッと横切って
滝の近くに止まりました。
ここでは、カラスはその時以外は
見かけなかったんです。
神様がカラスを通して歓迎の印を
見せてくださったのでしょうか^^
まだまだ続く☆
熊野本宮大社参拝後は
徒歩で、すぐ近くにある
大斎原(おおゆのはら)へ
熊野に行くなら、絶対ここにも行きたい!と
前からずっと思っていた場所です。
本宮の鎮守の森から、
もと本殿がある場所へと移る間に
エネルギーが切り替わった感じ。
もとの本殿前はなんとも気持ちよく感じました。
すぐそばに川が流れていて、
そちらにも足を運び、川のせせらぎに
しばし耳をすませました。
ああ、時間が許すならここで
ぼけーっとしていたい!!
ほんとうにいたらぼーっとしてきました。
これもパワースポットのなせる力か?
大斎原 に行く途中にあった神社も参拝。
産田神社(熊野本宮大社 末社)
御祭神 伊邪那岐命さま(荒魂)
さて、本宮駐車場にあったおみやげやさんで
お土産を買い、レンタカーでお宿に向かいます。
本宮から川沿いの道を降りて新宮へ。
新宮から勝浦へ・・・そして山に向かいます。
走る道中、神様・仏様にお願いしました。
「那智の滝が見えるお部屋に
なりますように・・・・」
宿に着いたのは4時半過ぎ。
今日のお宿は 美滝山荘
那智の滝へ、なんと徒歩で行けるお宿♪
せっかく行くのなら、
空気が澄んでいて
人が少ない早朝に参拝しよう!
ということで、ここに決めました。
宿に着いて、
お部屋を案内してもらい・・・
部屋の名前を見てええ!? (@@)
さらに部屋に入ると
真正面に那智の滝がぁぁぁぁ~!!
窓を開けたら、滝の音も聞こえる!!
うれし~!!о(ж>▽<)y ☆
願いが叶ったぁぁぁぁ
どの部屋からでも
滝が見えるわけではありません。
「ここは一番いいお部屋です」
とお宿の方が言ってました。
そうでしょうとも。
何しろ滝が真正面に見えるんですもの。
神様、仏様、ありがとうございます!!
昨夜バス車中で夜を過ごして
よく眠れなかったのと、
横浜とは違う,南国の強い日差しの中の参拝で
けっこうヘロヘロ。
滝の音をうっとり聴きつつ
しばしお茶を飲んでから
お風呂に入って、
6時からの夕食を堪能しました。
なぜか千葉県の犬吠崎観音・満願寺と
お寺の名前が入ったおしょうゆが。
(熊野は和歌山県。
でも海のつながりか、
千葉と和歌山には同じ地名がある。勝浦とか)
帰宅して、満願寺のことを調べてみたら…\(◎o◎)/
「補陀洛山満願寺」は、真言宗。
坂東札所・二十七番圓福寺の奥ノ院でもある。
「坂東札所めぐりの巡礼が中心になり、
満願成就した報恩感謝のために開創された。
境内の満願堂には、
西国、坂東、秩父、四国の188ヶ所の本尊を祀っており、
満願寺に参拝すると、
189カ所のお寺をお参りしたのと
同じご利益があるといわれている。
「満願成就」なるほど。
考えてみたら、
今回の熊野も数年かけて祈った「成就」のひとつ。
これは祝福のメッセージ?^^
「補陀洛山」とは、熊野つながりのお寺?!
夕食の会場で隣の席の男性は、
熊野古道を踏破されていました。
夜は早めに寝ました。
明日はいよいよ、
早朝の那智の滝へ。
今回の旅行のハイライト!!
最大の目的は、この那智の滝なのです。
まずは 熊野本宮大社、参道の途中左側の
祓戸大神さまに参拝
(たいていの人はスルーしてますが、
やはりここで本宮の神様にご挨拶する前に
祓いの神様にお祓いしていただくことを
オススメします♪)
本殿では、たくさんのお社があり
参拝の順番が書いてあったので、
それにしたがって参拝しました。
単純に左のお社から、
というわけではないようです。
(ちなみに二日目の那智大社は、
他の二社と境内の造りが違っていて
拝殿はひとつしかなくて、
各神社それぞれを拝めないようになってました)
熊野本宮大社は、右側に社務所があります。
本殿前はじりじりと照りつける南国の太陽で
かなり暑かった(ああ日焼けがコワイ)
しかし、はるばる横浜から参拝に参じたのですから
さっさと移動するなんてモッタイナイ。
しばらく本殿とうしろの森を、
日陰に入ってながめエネルギーを感じました。
気持ちいい・・・
境内でカラスを見かけました。
源平の合戦の最終局面で、
熊野別当 湛増(弁慶の父といわれています)が
熊野勢力は平氏に味方するか源氏に味方するかを迷い、
鶏を戦わせて、神意を問うことにしたのです。
赤の鶏を平氏、白の鶏を源氏に見立てて
戦わせると、赤の鶏は白の鶏を見て逃げだしました。
これを見て、湛増は源氏に味方することを決め
200余艘に及ぶ熊野水軍を率いて壇ノ浦に急行し、
この故事により、新熊野雞合(とりあわせ)権現と
呼ばれるようになり
明治になって神仏分離のため
闘雞神社となりました。
頼朝公に天皇から勅命が届く。
「平氏を討て」と。
影の立役者に那智の滝で修行した文覚上人あり。
一の谷の合戦や壇ノ浦の戦いの場面、
この時活躍したのは、熊野水軍が
テレビで見せられ、
はいはい、平氏は赤、源氏は白!
2023年追記
これは昨年わかったのですが
私は前世で、平氏の武将に使える武士だったんですよー。
弁財天様が好きです♪
- 雞姫弁財天社 ご祭神 市杵島姫命
湧き水があったのでしょうか。
カッコイイ弁慶像があります♪
そして境内社の
- 戎大黒神社 ご祭神 恵比寿、大黒天
手に持ってドンドンと叩いてみました。
後で社務所で伺ったところ、
ぴったりの行動だったと。
それで、ある本を思い出しました。
この本に
『耳が聞こえないことを聾(龍の耳)と書くのは
昔から龍は耳が聞こえないという俗説があるから。
龍つながりの恵比寿の耳も聞こえないはず。
なぜなら恵比寿は、龍(蛇)つまり「水辺の者」だから。』
(P298より要約)
そういえば、確かに
闘鶏神社・新宮・青岸渡寺(七福神を祀っている)には
それぞれトンカチが置いてありました。
熊野を思い出す曲となっていたのです。
熊野2日目。
和歌山からレンタカーで田辺へ。
闘鶏神社のすぐ隣が児童公園なのですが
そこにあるご神木がすごい!
樹齢約800年の大樟です。
動乱の世の中をずーーっと
この地で見守ってきた、
という貫禄がありました。
隣の人が小さく見えま~す。
ここまで大きいご神木、
私は初めてかも…
そばに立ってご神木を見上げているだけで
ほわ~っと癒されて
しばらく離れられませんでした。
そしていよいよ神社へ・・・
なにやら雅楽の音が聞こえるな~と思ったら、
結婚式が終わったところでした。
めでたい!!
ところで、
なぜ 闘鷄神社に参拝したのかというと・・・・
参考にしたサイトはこちら。
神仏霊場会の公式ホームページ
正確には、神仏霊場会推奨の
『週刊 古社名刹 巡拝の旅 』という雑誌の2号
「熊野古道」特集で知りました。
神仏霊場会(近畿の百五十の社寺)とは、
西国の神社とお寺が発足した会です。
かつて明治の神仏分離までは
神社とお寺はひとつになっていました。
神社だけの本、
お寺だけの本と違い
神社とお寺、両方紹介しているのが
新しい時代を感じます。
1 | 和歌山1番 | 熊野速玉大社 | 新宮市新宮1 |
2 | 和歌山2番 | 青岸渡寺 | 東牟婁郡那智勝浦町那智山8 |
3 | 和歌山3番 | 熊野那智大社 | 東牟婁郡那智勝浦町那智山1 |
4 | 和歌山4番 | 熊野本宮大社 | 田辺市本宮町本宮1110 |
5 | 和歌山5番 | 闘鷄神社 |
田辺市湊655
|
・
・
・
大阪・奈良・和歌山・京都・標語・滋賀5県の
神社とお寺。
150番まであります。
プラス番外で伊勢の内宮と外宮。
今回の旅行には、
5つの霊場が入っています。
- ☆オマケ☆
神仏霊場会を検索していたら、
出雲にも見つけました!
出雲國神仏霊場
次回の指令がここにも(^^;)
そうなんです、旅行中に
出雲シンクロがいくつかあったんですよ。
追記
(熊野に行く前から、
この次は、出雲かなーなんて言ってたら
一年も経たないうちに、2010年2月に鳥取へ行くことに!
惜しいあと一歩手前)